しかし、欧米式のこうした教育は「頭でっかち」になりがちである。 たとえば日本人は地震のメカニズムなど知らなくても、小学校で地震が起きたときに ガキんちょが机の下に隠れるスピードなどは、他のどんな国民も勝てないほど よく訓練されている (と思う)。アメリカンの子供はぜったいにこんな迅速には反応できないだろう。 ほかにも、意味はわからないけど言われるままに防災用品を完備している家とか、 こと「身体で覚える」ことに関しては、日本人はたしかに進んでいるのだ。 そして新山はこうした「手続き型文化」は、けっこう好きなとこもある。 しかしいっぽうで (この USGS のサイトを見るかぎり) 日本の子供よりも 米国の子供のほうが地震に関する知識は正確に持っていそうだ。 これは日本に限らず、アジア一般でそんな傾向がありそうにも思うけど、 やっぱりなんでも「身体で覚える」対処ばかりやっていて、 頭での理解を軽視する風潮というのは、 長期的に見るとやっていけないような気がするんだな。
で、この問題をさらにややこしくしているのは、 そもそも日本ではお上が大衆を教育しようという発想がないし (「連中はバカなほうがコントロールしやすくていい」ぐらいに思っている、原発がいい例だ)、 一般人は一般人で「専門家のやることはうちらが知る必要がない」 「政府が国民を守るのは当たり前だ」などと愚直にも思っている。 そんで、役人の汚職が起こると「裏切られた!」などといって怒るのである。 こういった態度は、バカさ加減を硬直化させますよ、ホントに。
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正確な分析だ。それゆえ…
えー、私がよく引用する22年前の名著 国際感覚と日本人の中で、この「身体で覚えさせる」日本人の特性が、日本文化の根幹を成す二本柱の一つ「シツケ共同体」として詳細に分析されています。私も「身体で覚えさせる」やり方は長期的にデメリットが大きいという点に同意なんだけど、でもこの部分を変えるためには日本文化そのものをガラっと変えないといけないんだよね。それぐらい根幹部分に位置してる。
(via raurublock)