“もう一つはルサンチマンだろう。怨恨。嫉妬と言ってもいいのかもしれない。自分と同じような能力のある人間が偶然ラッキーなポジションにいると、それを見て、社会は間違っていると思うのもしかたない。それも一定の条件で諦める類のもののようには思われる。諦められないというのは、その相手への憎悪(ルサンチマン)があり、連帯の欠落というのも、やはり孤独や連帯の欠如ということだろうか。
実際のところ「絶対反対主義」の主張者がそれを満たしたとしても、さほどその個人にメリットはない。それが満たされないと世界の終わりのようにパニックを起こすのかもしれないし、それなりに多少社会パニックが起きるということもあるかもしれないが、だからといって「絶対反対主義」の人が特別ということはない。
「じゃ、どうすんの」というのも正月つらつらと考えた。
「承認」ということかな。孤独のシグナルというのは、承認欲求のシグナルでもあるのだろうし、日常的な承認が得られないことで「絶対反対主義」にドツボってしまったのだろう。”
- 「○○○は絶対反対」主義の蔓延をどうしたものかな: 極東ブログ (via kogumarecord)
実際のところ「絶対反対主義」の主張者がそれを満たしたとしても、さほどその個人にメリットはない。それが満たされないと世界の終わりのようにパニックを起こすのかもしれないし、それなりに多少社会パニックが起きるということもあるかもしれないが、だからといって「絶対反対主義」の人が特別ということはない。
「じゃ、どうすんの」というのも正月つらつらと考えた。
「承認」ということかな。孤独のシグナルというのは、承認欲求のシグナルでもあるのだろうし、日常的な承認が得られないことで「絶対反対主義」にドツボってしまったのだろう。”
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